葬斂の奏者-亡失に顔を逸らす諸人へ

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現役葬祭プランナーが、葬儀の常識・マナー・風習・疑問を詳しく解説するニャ

【火葬場への行きと帰りの道は変える!?】葬儀にまつわる風習

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今回は、葬儀にまつわる風習をご紹介します。実際にやったことがあったり、聞いたことある方が多いと思いますが「なぜそれを行うのか?やらなければいけないのか?」というご質問を多くいただきましたので解説します

火葬場からの帰り道を変える

告別式を終えると、故人の棺を乗せた霊柩車を先頭にマイクロバスや自家用車で火葬場へ向かいます。その後、火葬場で地域差はありますが1時間から2時間ほど荼毘・収骨を行い、葬儀会場や自宅へ戻ります

この火葬場への行きの道と火葬場からの帰りの道は、同じ道ではなく違う道を通る方がよいといわれております

道を変えるという風習の前提

「行き帰りの道を変える」という考え方は、土葬を行っていた時代から生まれたました

考え方の前提として、日本仏教の多くの宗派では、亡くなられたあとは「霊」の状態となり四十九日かけて浄土へ向かう旅をすると教えられています。「霊」の居場所としては臨終から四十九日までは魂の器であった「体」に居ます。当時は、すぐに土葬していたので「体」が埋葬された墓地が「霊」の居場所であると考えます。その後「仏」となり浄土へ向かいます

つまり一般的に浄土(仏の世界)への入り口はお墓(墓地)であると考えられていました

なぜ道を変えるのか?

では、なぜ道を変える必要があるのでしょう?

これは故人に帰り道をわからなくするためです。墓地が「霊」の居場所ではありますが、まだまだ新米の不安定な霊なので、居場所が定着していません。すると家族ととも一緒に自宅までついてきてしまうかもしれません。行きと帰り同じ道を通ってしまうと二度通るわけですから、普通に考えても道順を覚えやすくなります。違う道を通ることで、道を覚えさせない、または迷わせるというのが狙いです

自宅への帰り道が分からなくなった霊は、どこに行くかというと「体」がある墓地という本来いるべき所へ戻るのです

愛する故人の霊に対して、このような振る舞いは冷たい気もしますが、実はそうでなくお墓まで行った「霊」が浄土へ向かわず、間違えて自宅へ戻ってこないようにと、故人の成仏を願う思いからできた習慣なのです

神道的解釈

この風習の考え方としては、もう一つあります。日本古来からの神道的な考えですが、日常からかけ離れた「死」は忌み嫌われるもの、穢れとして扱われてきました。病気や死の原因も現代のように簡単にはわからない時代です

「死」という現象は何もしなければ、身近な人や葬儀に参列した人など他人へ「感染したり、死霊に取りつかれて悪いことが起こる」と考えられてきました。実際に当時の衛生面などを考えれば、亡くなられた方のウィルスや細菌が身近な人に感染していただろうと想像することは難しくありません

こういった「死」や「疫病」に対する恐れから、死霊を清めたり遠ざける習慣が各地で生まれました。お清め用の塩をまいたり、白いものを食べたり、色々なものを逆様にしたりなどです

その風習の一つが、道を変えるという方法です。死霊や穢れが葬列についてこないよう、道を変えれば死霊が道に迷い追いかけてこないという考えです。仏教的な考え方と比べると、こちらは故人に対して失礼で冷酷な印象を受けますが理解はできます

現代では矛盾が生じる風習

ただ、時代が進み現代の日本では(ほほ全国で)火葬というシステムが加わり、葬儀の後は墓地ではなく火葬場に向かいます。また、魂の器である「体(遺骨)」を埋葬するタイミングが葬儀当日ではなく、四十九日に埋葬(納骨)という地域が多くなったことなどから、この風習は細かく考えると矛盾が生じてきます

つまり、古来からの考え方ですと火葬場から成仏へ向かうわけではないので道を変えても意味はなく、「魂の器である体(遺骨)も自宅へ帰るので、霊も結局は自宅に戻ってしまうのでは?」という疑問が出てきます

まとめ

「火葬場からの帰り道は道を変える」ということの意味は霊がついてこないようにするためです。しかし、前述のとおり俗信ですし、今の時代では色々と矛盾を生じる考えでもあります。周りに迷惑をかけるものではありませんので「絶対に道を変えなければ!」と気にしすぎる必要はありません

ただ、こういった葬儀にまつわる古来からの風習の狙いは、遺族や身近な人の悲しみや恐怖を和らげるものです。信心深い方や周りの方への配慮も必要です。科学的根拠がないと全否定する必要はありません。特に不利益がないのであれば、あまり深く考えず、昔からの風習や作法に則って葬儀を終えるほうが無難と言えるかもしれません

ちなみに、俗信を否定する宗派もある

こういった俗信の多くを否定する宗派や寺院もあります。浄土真宗系の寺院は基本的に仏教の教えとは関係のない俗信や風習、迷信めいたものは否定しています

「葬儀のお清め塩は必要ない」「収骨時の合いばさみ(橋渡し)は行わない」などの作法はご存じの方も多いかと思います。これは『亡くなられた人は阿弥陀様のお力で皆差別なく、浄土へ行ける。それは周りの者が何をしようが、逆に何もしなくても変わりのないことだ』という教えがあるためです

葬儀のやり方、考え方は、地域性や宗教・宗派・寺院や神社、さらには各家庭においても多種多様です。事の背景を知らずに一方的にこうあるべきという考えは、トラブルを招きますので注意しましょう