葬斂の奏者-亡失に顔を逸らす諸人へ

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現役葬祭プランナーが、葬儀の常識・マナー・風習・疑問を詳しく解説するニャ

【なぜ葬儀にお坊さんを呼ばないといけないの?】お寺が供養する理由と依頼しないという選択

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近年、お寺に葬儀を依頼しない(呼びたくない)というご家族が増えています。理由を伺うと「うちの家族は無宗教だからお坊さんは必要ない」「お寺に支払うお布施が高い」「菩提寺の住職が横柄で気に食わない」「家族葬だから…」と様々です

もちろん「お寺に来てもらわないとならない」という決め事はありませんし、実際に寺院を介さない葬儀も多くあります。また、お坊さんのお経がない葬儀を「手抜き」だとか「劣っている」という考えは当然間違いです

なぜ、お坊さんを呼ぶのか?

では、なぜ態々高い『お布施』を払ってお坊さんに来てもらうのでしょう?多くの方は「普通の葬儀はお坊さんにお経をあげてもらうもの」とか「お寺が来ないと格好がつかない」「故人が成仏できない!」など慣習や世間体を気にして寺院に依頼しています。もちろんそんな事だけが理由ではなく、仏教の信仰がほとんどない家族でもお坊さんを呼ぶ理由があります

理由1 あなたの家の墓地がそのお寺にある

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葬儀のあと故人の遺骨をお墓に納めなくてはいけません。そのお墓が寺院にある場合はそこの主である住職の考えや作法に従う必要があります。ご存知の方も多いと思いますが『墓地を購入する』ということは実際に土地を買うのではなく、お寺に土地の使用料を支払い墓石を建て遺骨を置かせてもらうということです。つまり、墓地はお寺や管理者の土地であり家族の土地ではないのです。物理的理由とも言えますが納骨(埋葬)先がお寺が管理する墓地の場合、葬儀でのお経や戒名は必須といえるでしょう。これを省いた場合、納骨を断られたり、葬儀をやり直すケースもあります

理由2 故人を供養してもらう

人は亡くなった後どこに行くのか?どうなるのか?と考える人は少なくないでしょう。仏教の多くの宗派では、生きている間に善い行い(念仏や修行、戒めを守るなど)をすることで、死後『仏(または仏弟子)』となり浄土へ生まれる(行く)と考えられています。しかし生前、少しでも悪行があれば地獄へ堕ちると言われます。生きている間、虫の一匹も殺さなかったという人はいないので、誰でも地獄行きの可能性があります。

そういった行き先のわからない故人の霊を、念仏や作法などの追善供養によって浄土へと導いてくれるのがお寺のお坊さんです

理由3 悲しみを乗り越えるため

上の「浄土」や「成仏」という考えは、科学の進んだ現代では合わないかもしれません。なぜこんな教え(考え方)が生まれてきて今の時代も続いているのかを紐解くと、それは残された家族の悲しみを解消するためです。

仏教に限らず死後の世界を説くということは、一見故人の「これから」を話しているようですが、実際には故人を想ったことではなく残された者や生きている人達へ、悲しみや後悔を緩和し、死への恐怖を和らげるという話なのです

  • 故人を失って寂しいけど、また向こうの世界で逢える
  • あなたが親不孝でも、仏は怒ることはないから優しく見守ってくれてるよ
  • 浄土は素晴らしい世界だから、故人は苦しみなんてないんだよ

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お坊さんの話は難しかったりしますが、直接的ではなくてもこんなことを言っていることが多いです。こういった話を葬儀でしてもらうことで、辛い気持ちが和らいだり、故人が教えてくれた教訓を生かそうと思ったり、落胆から立ち直るきっかけになります

お坊さんを呼ばないという選択肢

悲しみを癒すという面ではお寺だけがその役割を担っているわけではありません。親戚同士の会話や、気にかけてくれる友人、SNS、精神的医療など周りに多くの手段があります。また、普通に生活しているだけでも癒されることはあるでしょう

「葬儀にお坊さんを呼ばない」ということは世間体などではなく、前述した理由を理解したうえで選択しましょう。これは家族だけでなく、まわりの親族の理解も必要です

無宗教葬

寺院や僧侶が来ない葬儀をよく「無宗教葬」といいますが、決められたものがあるわけではありません。形式にこだわらない葬儀を大まかにまとめて「無宗教」と呼んでいます。お線香を立てたり、焼香をしたり、献花をしたり、音楽をかけたりなど仏式だったり、キリスト教式だったりもします。要は、送り出す遺族の悲しみを少しでも緩和することに葬儀の意義があります

僭越ながらお寺様に一言

ここ数年の間に「家族葬」といわれるものが圧倒的に増え「直葬」という気持ちも何もない葬儀も浸透しています。これは人と人とのつながりが希薄となったことが一つの要因、葬儀社やメディアが「大げさな葬儀は必要か?」と煽り、低価格で手間のかからないことを良しとする世評が広まったことも要因の一つと考えます。

私程度のものでも現場の控室などでお寺の住職とお話しする機会があります。非常にためになり、遺族の事を考えてるなあと恐縮する事ばかりです。

しかし、実際にお寺はご遺族とお話をされていますでしょうか?

葬儀における作法は別として、臨終後、電話とFAXだけで葬儀の日程の確認しかしない住職。葬儀では読経を終えるとすぐ帰ってしまう住職。遺族が食事を用意しても席につかない住職。

このような先生方が遺族の悲しみを癒せているのでしょうか?葬儀にしか来れない方もいらっしゃいますので、やはり式中に法話や説法をしていただきたく思います。お経は私共一般人では意味を理解することをできませんので。

葬儀でしかお坊さんのお世話にならないこの時代を作ったのは、お寺様ご自身ではないでしょうか?寺を運営していく中で、お忙しいでしょうしお布施が必要なことは十分承知しています。しかしながら、もっと地域と檀家さんに親身に接するべきかと存じます。ご喪家が気持ちよくお布施をしていただける様、また、日本の葬儀文化を守っていけるようご尽力いただければ幸いです。